邦題: 地獄の黙示録
原題: Apocalypse Now
公開年: 1979年
収録時間: 147分
IMDb評点: 8.5
私的評価: 9.0
ジャンル: ドラマ、戦争
出演者: マーロン・ブランド、ロバート・デュヴァル、マーティン・シーン、デニス・ホッパー
監督: フランシス・フォード・コッポラ
「せりふで遊ぶ」コーナーの第22回目です。
今回は、フランシス・フォード・コッポラ監督による狂気の超大作『地獄の黙示録』です。
監督本人ですら「撮影中にも、編集中にも、最後にどんな映画になるのか、完全に確信していたというわけではなかった」というほど複雑で、しかも現場は混乱の極みだったそうですから、「作った」というより「結果的にできた」と理解するべき映画でしょう。
たくさんの解説や批評がちまたにあふれているでしょうが、映画作品は「そこに映っているものがすべて」ですから、今回の記事も純粋に私自身の解釈です。
ブルーレイには監督のオーディオコメンタリーが収録されているのですが利用したのは間違いでした。コッポラ監督はしゃべり過ぎなのです。
製作当時の裏話程度なら問題ないのですが、テーマやシーンの解釈などに関わることもベラベラ話しているんですね。
当事者があまりに多くを語ってしまうと見方が限定されてしまうようで白けてしまいます。先日久しぶりに見たのですが、コメンタリーについての記憶が薄れてきたことでやっと再鑑賞する気になったからです。
「忘れる」ってことは、ときにはいいものですね(^^)。
参照したのはブルーレイディスクですが、吹き替えの方が分かりやすいため吹き替え版のみ紹介します。
またこの記事は完全にネタバレを含みますが、これほど有名な過去のドラマ作品であればもはや時効といっていいかもしれません。
原文は以下のリンク先で読むことができます。
まずは、カンボジアのジャングルで自らの王国を築き独裁者となっているカーツ大佐(マーロン・ブランド)による最後のせりふ――「恐怖だ。恐怖だ」のことです。
ここは原文で「ザ・ホラー……ザ・ホラー」と言っているのですが、ただホラーでなく、「ザ」と冠詞が付いていることがポイントです。
冠詞があるということは何か具体的なイメージがあるということでしょう。それも定冠詞ですから明確なイメージです。カーツの頭にあったのは、抽象的ではない姿形のはっきりした恐怖像のはずです。
それは一体何なのか?
これは人によって違っていいと思いますが、結論から言うと私が感じたその恐怖とは、すなわち「刃物」のことです。
カーツによる話の中において刃物は重要な役割を担っています。
カーツ暗殺の指令を受ける際、ウィラード大尉(マーティン・シーン)が軍上層部から聞かされた録音テープに大佐のこんな声が入っています――
「カタツムリを見てた。カミソリの刃の上を這っていた。夢の話だ。悪夢だ。するすると這っていく。鋭くまっすぐな刃の上を、死にもせず」
次は、劇終盤でカーツがウィラードにゆっくりと語る戦慄の体験談です。まずその一部から――
「恐怖。恐怖には顔がある。それを友とせねばならん。恐怖とそれに怯える心を友とせよ。そうしなければ、この二つは恐るべき敵となる。真に恐るべき敵だ」
――この「恐怖」はまさに「カミソリ」と同義ではないかと感じます。それが「真に恐るべき敵」となったら柔らかなカタツムリはどうなってしまうのか――怖いですね。
そしてさらに恐ろしい話が続きます――
「今でも忘れない。特殊部隊にいたときだ。まるで何世紀も前に思える」
「収容所へ予防接種をしに行った。子供たちに。小児麻痺の予防接種を終えて収容所を出たすぐ後、老人が泣きながら何か訴えるように後を追ってきた」
「何ごとかと戻ったら、ベトコンが来て予防接種した腕をすべて切り落とした後だった。山のように積まれていた。小さな子供の腕が」
「今でも覚えている。私はその場で大声を上げて泣きじゃくった。まるでばあさんのように。自分の歯を全部むしり取りたいような気持ちになった」
――いかにも恐怖を象徴する道具として刃物が扱われているかのようです。
この後、カーツの王国に住む者たちが祭りで水牛を屠殺するシーンが出てきます。山刀をドカッドカッと振り下ろして牛を殺します。刃物によって命が奪われるのです。
そして同じようにカーツもウィラードによって命を絶たれることになります――刃物によって。
余談ですが、「屠殺」という言葉は現代では不快用語扱いされて、「食肉処理」「食肉解体」と表現されることが多いようですが、むしろ残酷さを強調できる「殺」の字を使った方が動物愛護の精神に沿うのではないでしょうか。食肉解体だと物扱いしているようで、かえって愛護精神から遠い気がするんですが……。
実際、日常生活で最も恐怖を感じさせるものは刃物ではないでしょうか(アメリカなどは銃かもしれませんが)。
映画での爆撃や銃撃シーンにはそれほど恐怖を感じません。縁遠い世界だからです。
特に私にとっては子供時代のある経験がトラウマになっていることもあり、刃物は恐怖そのものです。
手斧で木材を削って工作のまね事をしていたときに、手元が少し狂ったことで左手人さし指に斧がサクッと入ってしまったことがあったのです。
それこそカーツのように大声で泣きじゃくりました。文字通り涙が枯れるまで泣きました(ほんとに枯れるんですよね。いくら泣いてもある時点からもう出てこない)。
水牛が首を叩き切られる本作の映像を見ると、指先が垂れ下がってちぎれそうにブラブラしていたあの光景を思い出します。
ですから自分にとって、恐怖とはまさに刃物のことなのです。
刃物こそが、死を最も強くイメージさせるからです。
ところで、ブルーレイ商品(コレクターズ・エディション)の特典には脚本担当ジョン・ミリアスとコッポラ監督の対談が入っているのですが、その中にこんなやりとりがあります――
ミリアス: 「『博士の異常な愛情』は『地獄の黙示録』に影響した」
コッポラ: 「それは言えるね」
――同感です。
この記事へのコメント
白馬
この箇所だけで、全体として知識のない方が感覚で書いた浅い考察に見えてしまうので直された方がよいと思います。
たまケロ1号
>白馬さん
なるほど、それは知りませんでした。ただ、私のように誤解している人が他にもいるかもしれませんから修正や削除はせず、白馬さんのコメントとともに残しておこうと思います。ありがとうございました。