ヴィト・コルレオーネは、なぜ大物感があるのか?  ―ゴッドファーザーに死美れる(ショット2)―






ヴィト・コルレオーネはニューヨークの著名なボスの特徴を合わせたキャラといわれる。


が、過去のシチリア人の中にもヴィトに非常に近い人間たちが存在した。


ひとりは、シチリアマフィアで最初に「ボスの中のボス」と呼ばれたヴィト・カッショ・フェロである。


おそらくヴィトの名はそこから来ている。


彼が新天地を求めてアメリカに渡ったのは映画のヴィトと同じ1901年だ。


すでに同国でも有名だったためニューヨークのボスたちに手厚くもてなされた。


滞在期間はわずか数年だったが、シチリアとアメリカのマフィアをつなぎ、双方が発展する基礎を築いたとされる。


シチリアでの表の顔は上流社会の名士であり、尊敬と崇拝の対象でもあった。


まさに、ドン・コルレオーネの原型!



もうひとりは、山賊サルヴァトーレ・ジュリアーノである。


1940年代のシチリアで義賊的行動によって民衆から支持されたイケメンだ。


マリオ・プーゾはジュリアーノをモデルにして『ザ・シシリアン』を書き、同作は映画にもなった。


小説にはシチリア逃亡時のマイケル・コルレオーネが登場するが、残念ながら映画には出ていない。


ジュリアーノの性質について、『シチリア・マフィアの世界』(講談社学術文庫)にはこうある――


「ジュリアーノの中には多くの要素が存在していた。戦略家、復讐者、冷酷な人間、気前の良い人間、粋な男、詩人といった要素である」 


一方、コッポラ監督はドンの3人の息子たちをこのように形容していた――


「長男はドンの激情と攻撃性を、次男はその愛すべき性格や子どもっぽい性質を、三男は、知性、狡猾、そして冷たさを受け継いだ」


3人の息子には父親の血が見事に分散して流れているが、その血はこれまた見事にジュリアーノの要素と一致しているのだ!


プーゾやコッポラがどう考えていたのか不明だが、ドンとジュリアーノに共通点があるのはたしかである。







役者も大物であった。


コッポラによれば、俳優たちに囲まれるマーロン・ブランドは独特のオーラを発していたという。まるで部下といっしょにいるドン・コルレオーネのように。


プーゾは小説を書いている際も脚本に取りかかってからも常にドンの役にブランドを想定していたそうだから、適役なのもうなずける。


20世紀を代表する天才として有名だが、他の俳優にとっても支柱的存在だった。


ブランドの訃報を聞いたとき、アル・パチーノは泣いた。


「マーロンなくして、おれたちはどうしていったらいいのだろう?」と真剣に考えたほどである。


それほどまでに重要な人物だったのだ。


ブランドは「私が演じるギャングは悪人ではなく英雄だ」と語った。


パチーノもまた、「マイケルは自分のことをギャングだとは考えていなかった。それは断じて違う。マイケルには彼なりの規則があった」と自らのキャラクターを論じている。


芸術家肌の2人の名優がしっかりと考えて演じたのだ。


ただのマフィアではない重厚さがドンやマイケルから匂いたつわけである。


だが、やはりブランドのほうが上だ。


恐るべきエピソードがある。


コニーの結婚パーティが撮影された当日、ブランドはロバート・デュヴァルといっしょにいたずらをした。


それは尻出し!


2人は大勢の前に尻を向け、パンツを下ろしたのだ!


デュヴァルは尻を突き出しただけだったが、ブランドは壮絶だった!


前かがみになり、左右両方の尻をグイッと開いた!


クパ~~~っと!


何から何までムッキムキのムキ出し!


痔まであった!


まさしく大物!


神!


ご本尊!


千手観音のごとき複雑怪奇な姿がそこに!!!


あらゆる意味で他者がまねできない人だったのだったんであったった!


人ってゆーか……ほぼ犬!



最後に、マーロン・ブランドがテープに残した声を紹介する――


「私もマフィアの世界で育ったなら同じ道を歩むだろう。特定の状況下なら、皆、同じことをするはずだ。自分の子を利用されたり愛する者を傷つけられたら、私は戦い、相手を殺すだろう」


本来は真顔で傾聴すべき言葉だが、尻出し話でゆるんでしまった顔をしめなおすことはできない。


時代の偶像となっただけでなく、偶像破壊までしてしまった超大物なのであった。


とにかくまねできない……。


いや、


したくない!





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