「ショービジネスは好きではなかった」  ―マリオ・プーゾに死美れる(夢のハリウッド生活編)―

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『ゴッドファーザー』公開前後、原作者のマリオ・プーゾがどのような気持ちでいたのかを追っていきます。


まずプーゾの言葉を紹介し、その後に本文を続けています。


第一作目公開当時に出版されたプーゾの手記『The Making of the Godfather』をおもに利用しました。









「小説家の仲間たちは、私がなぜ映画を作る気になったのか不思議そうだった。


ショービジネスは好きではなかった。私は小説家だ。書くべき小説がある」









《本文》


マリオ・プーゾはパラマウントが映画製作を一時あきらめたことを知らなかった。


彼らが『暗殺』というマフィア映画を作っていたのがその理由である。


同作は批評でも興行でも大失敗だった。


そのせいで、スタジオの幹部がもうマフィアものには金を出せないと感じたのだ。


プーゾは『暗殺』を見て、オプション契約時に渡した『ゴッドファーザー』の最初の100ページをパラマウントが違う話に作り替えたのだと思った。


その映画は全体の構想も脚本もひどいもので、マフィアの世界を完全に誤解していた。


『ゴッドファーザー』の映画化は、本が超ベストセラーになったおかげでやっと決まったのだ。



もともとショービジネスに興味のないプーゾがハリウッド行きを決めたのは、大成功したら家で仕事をしないようにすると妻に約束していたせいだ。


プーゾの妻は日中に夫が家にいるのを嫌っていた。


イライラして叫んだりあちこち散らかしたりするおじゃま虫だったからだ。



マリオ・プーゾはそれまでの20年間、執筆ばかりの隠遁生活を送っていた。


ほとんどの時を頭の中で過ごしており、世界は彼を通り過ぎていくばかりだった。


男たちがどれほど変わったか、女たちが、少女が、若者がどれほど変わったかを知らないでいた。


社会が、実際の政府がどう変わったのかを知らなかった。


その生活が、成功によって突然変わる。


西半球でもっともたやすく幸運に恵まれた男になってしまった。


多くの人に愛されるようになったことで隠遁者を簡単にやめられた。


そのおかげもあってハリウッドへ向かう勇気を持てたのだ。



脚本の取引条件は好ましいものだった。必要経費として週に500ドル(当時のレートで18万円)。いい金である。現金の前払いでだ。


だが仕事ぶりはグダグダだった。


ハリウッドに着いてからは高級ホテルに泊まり、その後2週間テニスをしてすごした。


そしてすぐに家に帰ることになる。


妻や子どもたちが恋しかったことと4月だったからだ。


4月のニューヨークは居心地がいいのだった。


結局1970年の4月から8月まで、ニューヨークとロサンゼルスを行きつ戻りつする通勤状態になる。


理想的な生活だった。


カリフォルニア、テニス、サンシャイン……ホームシックになるとまた自宅へ。


家庭生活にいらついてきたら、またカリフォルニアへ。


プーゾがいつどこにいるか誰も知らなかった。


仕事はあまり進んでいなかったが誰も心配していないようだった。



嫌いだったはずのショービジネスの世界は意外とおいしかった。





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