「彼のことは好きだ」  ―マリオ・プーゾに死美れる(コッポラ監督編)―

ゴッドファーザー (12).jpg



『ゴッドファーザー』公開前後、原作者のマリオ・プーゾがどのような気持ちでいたのかを追っていきます。


まずプーゾの言葉を紹介し、その後に本文を続けています。


第一作目公開当時に出版されたプーゾの手記『The Making of the Godfather』をおもに利用しました。









「彼のことは好きだ。脚本の半分は彼の功績である。私もそれで満足だ。ひどいせりふはどれも彼のせいにできたし、いくつかのひどいシーンもそうだ。


かんに障る人間ではなかった。われわれはうまくやっていた。そしてとうとう撮影用の脚本が仕上がった」









《本文》


マリオ・プーゾは、ひとりで書いた最初の脚本をスタジオの皆に気に入ってもらえた。


監督が決められたのはそれからだ。


だが、社会的良心に背くという理由で有名な監督たちに断られ続けた。


「マフィアや犯罪者を美化している」と。


プーゾはその言い分を理解できた。


処女作だって低劣で下品だとされていたのだ。


だが、同作を芸術として賞賛する声もあった。


そのころのプーゾにとって、自作についての気になる意見は自分自身のものだけだった。


大半の人より厳しい批評家と自負していたため、感情が傷つくことなどめったになかった。



最終的に、イタリア系である点と若さをおもな理由にフランシス・コッポラが選ばれた。


だが、プーゾのひねくれたアタマはスタジオ側の決定をいぶかった。


2本の失敗作を撮っただけの30代前半の若造だから、うまくコントロールできそうと思ったのではないかと。


安上がりに製作するためだ。


そのころスタジオは、100万~200万ドルで『ゴッドファーザー』を作るつもりでいた(最後には600万ドル(当時のレートで21億6千万円)を超える)。



プロデューサーのアル・ラディが監督の名前を知らせてくれたとき、プーゾはまだコッポラに会ったことはなかったが評判は聞いていた。


高いスキルをもった脚本家と見なされており、『パットン大戦車軍団』の共同脚本でオスカーを獲得する人物だ。


ラディはプーゾに言った――


「フランシスと私が君にわかってほしいと思うことはただひとつ。彼は君の脚本を書き直す気などない。ただ監督をしたいだけだ。みんなが君の仕事に満足しているからね」


脚本もやるコッポラが自分の映画を撮りたがっている。でもプーゾの脚本は直さない。なのに解任もされない。


プーゾは共同脚本者のひとりになるのだと即座に理解した。


最初からやり直しだ。


そして、2人で半分ずつ書きそれを交換してお互いが書き直すといった作業をすすめることになる。



それはどちらにとっても快い協業であった。





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