最初にBDの日本語字幕を、次に本文を、最後に同BD収録の英語字幕を紹介します。
行進する大勢の兵士たち
【日本語字幕】
ジョーカー(ナレーション)「今日一日の業績で、我々は十分、歴史に名を残した。香水川まで進んだらそこで朝を待つ」
ミッキーマウスのテーマ曲を歌いながら兵士たちが行進する。
兵士たち「僕らは、よく遊び、よく働く、仲良し仲間。ミッキーマウス! ミッキーマウス! よい子の旗は永遠にたなびく。男の子、女の子、近い子、遠い子、だれもが、みんな大歓迎。M-I-C-K-E-Y M-O-U-S-E!」
ジョーカー(ナレーション)「頭に浮かぶのは硬い乳首の白日夢。潮吹き女王メリーが主催する生還祝いの妄想大乱交。五体満足の幸福感に浸り除隊ももうすぐ。わたしはクソ地獄にいる…が、こうして生きている。もう恐れはしない」
「アメリカでは、どの子もテレビの前にすわってこの歌を歌う。ここで言いたかったのは、戦争をしているこの兵士たちが、子どもだったかつての彼らとほとんど同じであることだ。テレビの前にすわりミッキーマウスの歌を歌っていたあのころの……」
――歌についてのキューブリック監督の説明である。
そういえば脚本の最後では、戦争ごっこをして遊ぶ8歳児のジョーカーが描かれていた。
一方、原作では兵士たちが兵舎内で歌う。
退屈しのぎに餌でたくさんのネズミをおびきよせ、みんなが斧や銃剣で殺したり、ライターオイルで焼き殺したりしたあとで。
死と隣り合わせの戦場を、兵士たちが子ども時代の気持ちで行く。
あたまには何が去来するのか。
脚本には死ぬ間際のカウボーイがジョーカーにこう頼むシーンがある――
「会いに行ってくれ……おれのママに」
あるアメリカ軍少将の回顧談にこんなものもある――
「戦闘で命を落とすとき、兵士はよくお母さんと言うんだ。あれは胸が痛む。私はもう五ヵ国語で聞いている」
このたそがれの行進は、なんだか感慨深い。
戦闘中の殺人に対する基本的な反応段階として、殺人への不安、実際の殺人、高揚感、自責、そして内面における合理化・正当化と自らの受容があるとされる。
最終的に自分の行いが善であり正義であると信じられれば、殺人者の精神の健康は保たれるのだ。
ジョーカーの「もう恐れはしない」はその段階に達したということだろうか。
ただし、晩年を迎えてから昔の戦場を思い出して苦悩する退役兵もいるという。
結末については重要なエピソードがある。
もともとジョーカーはベトナムで死ぬ予定だった(脚本の最終シーンはジョーカーの葬式である)。
撮影中、監督はマシュー・モディーンにジョーカーの死について問い続けていたが、あるときモディーンがジョーカーは生きるべきと口にした。
監督が問い詰めるとモディーンは答えた。
彼は自分の教官(ハートマン)を殺され、助けようとしていた仲間(ほほえみデブ)は自殺し、親友(カウボーイ)を亡くし、少女(スナイパー)を自ら葬った。
そんな思い出とともに生きるのは死ぬより悪い。
だからこそジョーカーは生きるべきなのだと。
「それが戦争の真の恐怖だ」とキューブリックは応じた。
そして、「それこそが映画の結びであるべきだ」とも。
ジョーカーのほんとうの恐怖は、ここから始まるのだ。
【英語字幕】
ジョーカー(ナレーション)「We have nailed our names in the pages of history enough for today. We hump down to the Perfume River to set in for the night」
ミッキーマウスのテーマ曲を歌いながら兵士たちが行進する。
ジョーカー(ナレーション)「My thoughts drift back to erect-nipple wet dreams about Mary Jane Rottencrotch and the great homecoming-fuck fantasy. I am so happy that I am alive in one piece and short. I am in a world of shit, yes, but I am alive. And I am not afraid」
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