映画『ゴッドファーザー PART III』はこうして自分にとって傑作となった!

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     邦題: ゴッドファーザー PART III

   原題: The Godfather Part III

  公開年: 1990年

 収録時間: 162分(劇場版)、170分(ビデオ版)

 IMDb評点: 7.6

 私的評価: 8.0

 ジャンル: クライム、ドラマ

  出演者: アル・パチーノ、ダイアン・キートン、アンディ・ガルシア、タリア・シャイア、イーライ・ウォラック、ソフィア・コッポラ

   監督: フランシス・フォード・コッポラ







最初にアル・パチーノの言葉を紹介し、その後で本文を続けています。




ネタバレありです。







「柩に涙を流して告白し、悔恨を感じるようになっては、それは彼らしくない。フランシスがそこに到達しようと努めるのは賞賛する。しかし、マイケルがそのイメージで固まってしまっては……」







《本文》

あまり関心のなかった『ゴッドファーザー PART III』が、新バージョンによってかえって好きになった。


『ゴッドファーザー〈最終章〉:マイケル・コルレオーネの最期』がまるで刺さらなかったからだ。


われらがダークヒーローの最期は、文学的に気取った魂の死なんかでなく、映像的に泣ける肉体の死でよかった。


あのラストシーンに変えたわけを理解はできる(詳細は前回の記事に書いた)。


でも、刺さらない。


観客は(少なくとも私は)マイケル・コルレオーネに自分を見たいからだ。


コッポラ監督を見たいのでなく。


何があろうと、自分の死も最後の最後は穏やかであってほしいからである。


小説であれば、「そしてマイケルは永遠の闇に沈んでいった」とかの一文で終えれば味のあるものになりそうだが、サングラスかける映像で深い余韻などありえない。


パチーノは再編集版を「良くなったと確信する」と言ったらしいがおそらくは社交辞令だ。


だってパチーノが認めていなかったはずの罪を悔いるマイケルの姿はそのままではないか。


劇場版の甘美なラストについては大悪党にふさわしくないようにも思えるが、娘の死でしっかり苦しんだのだしあれでいい。


人の死はそれだけで十分に悲劇だし、たとえ冷血漢であっても時代や運命に翻弄されてきた面も否定できない。


コッポラ監督は結局、この作品を自分のものにした。


でも映画は見る人のものである。


だから個人的には劇場版こそが本物だ。



パチーノ「しかし彼の心の底には、兄を殺したことで母親を裏切ったという深い思いがある。それは過ちだった」



『ゴッドファーザー PART III』は、こうして自分にとって傑作となった。





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