「ら」抜きの「楽園」  ―レンタルビデオ屋さんの物語・天国か地獄か沖縄編(その6)―

沖縄本島で最も印象的だったのは渋滞でしたね(南部の話)。 とにかくいっつも渋滞! 常に渋滞! 渋滞で街は重体!(痛いぞ) その原因として、鉄道がないためにただでさえ混みやすいのに、幹線道路上ではいつもどこかで工事していたということもあります。 何であんなにあちこちで工事が必要だったのかなあ。今でもそうなんですかね? 沖縄には国が多くの予算を組んでいるそうですが、適切に使われているのかちょっと疑問になるところです(沖縄に限らんけど)。 私がいた頃ちょうど那覇空港~首里間で「ゆいレール」なるモノレールが開通しました。 渋滞解消を狙ったもののようですが、これですね、開業当初は乗客がものすごく少なかったんですよ。 待望の鉄道であるはずなのに、県民の反応は冷めたものだったようです。 車の方が便利だからとか、高架上の乗り物は怖いからとか、いろいろ耳にしましたが、鉄道を使うという習慣の問題が大きい気はしましたね。 「暑いせいもあって沖縄の人は100m離れたらもう歩かない」などと言う声がありましたが、つまりは駅まで(あるいは駅から)歩く面倒を嫌ったという理由もあるようです。 現在の状況は不明ですが、少なくとも観光客による利用は増えているんでしょうか。 沖縄といえば、どうしても外せないのが米軍基地の問題です。 住居は那覇、事務所も那覇、でも島内の店舗にはしょっちゅう訪れるわけですから、あちらこちら移動はしていまし…

続きを読む

台風になめられてるのか、なめてるのか  ―レンタルビデオ屋さんの物語・天国か地獄か沖縄編(その5)―

沖縄といえば台風、それも大型で強烈なやつが定番です。 いつも勢力が一番強いときに来てそこからグッと曲がって本州方面へ行くわけですが、どうも台風は沖縄が大好きみたいで、ちょっとでもペロッとなめないではいられないようです。 こっちは「なめんなよ! コラ!」てなもんですが、私がいた頃は数が多い年だったのかどうかわかりませんけど、夏場は毎週のように襲われた記憶があります。 そのたびにどこかの店舗で停電したり破損があったりするわけですが、最大の面倒は離島のK店で起こりました。 最大瞬間風速が74mという、島にとって30年に一度クラスの大型台風だったものです。 お店の被害はひどく、壁は崩れるわ天井に穴は開くわ、商品はビショビショグショグショだわ、もうメチャクチャです。 たしか、濡れたビデオ5千本、古本1万冊を処分したはずです。 地震でもないのに天井に穴? 正面の自動ドアが強風でふっ飛ばされ、そこから風がビュワ~~~っと流れ込んだんですね。 風というのは逃げ道を探すものなんだそうで、なんとか外へ出ようと店内で暴れまくったのです。 その結果、壁や天井が中から崩されたというわけです。 台風通過後の訪店時、何かの用事で店長の車に乗せてもらおうとするとドアがうまく開きません。 「強風でひっくり返ったんですよ。そのときの衝撃で壊れたんです」とのこと。 ある駐車場でおかしな停まり方をしている自動車がありましたが、ど…

続きを読む

飲みニケーション地獄  ―レンタルビデオ屋さんの物語・天国か地獄か沖縄編(その4)―

正社員は中途であれば現地採用でしたから、基本的にその地区の長、つまり私が面接を行っていました。 あるとき、業界最大手の競合他社で沖縄地区長をしていた人がやってきました。 「あっちはもうイヤになったから」 何がイヤになったのか? 聞くと、それは部下との関係でした。 部下のやる気を維持するためにいわゆる「飲みニケーション」をしょっちゅうしていたそうですが、地元出身の男性だけにその効果や重要性をかなり理解していたのでしょう。 が、その頻度がとんでもなかったのだぞ! なんと、週5回!  ほぼ毎日! 地区全体での飲み会は多くなかったでしょうが、飲む相手は違ってもほとんど毎日! 当然上司側のおごりですから、給料は飲み代でパーです。 そりゃイヤになるわな。 その状況をつくってしまったのは会社側なのか本人なのか部下なのか知りませんが、なんともかわいそうな話です。 彼は結局採用しませんでしたけどね。 面接と同時にある種のペーパーテストを受けてもらうのですが、その成績が異常に悪かったからです。 あるいは面接を受けながら、「やっぱりこの会社はやめとこう」と思ったものの直接そう言いにくいもんだから、わざと悪い結果が出るように解答した可能性もありますが。 そういった面接や試験のみならず履歴書もしっかりした人はそれなりにいます。いつもこの人ならやってくれると確信し、採用者を決めます。 その結果…

続きを読む

ゲーセンじゃないんだから  ―レンタルビデオ屋さんの物語・天国か地獄か沖縄編(その3)―

月一回離島のK店へ行き、店舗の運営・管理上の問題を指摘したり、いっしょに問題点を修正したりするわけですが、たいてい翌月訪店時に前回注意した箇所は直っていました。 たとえば売り場の陳列状況がまずい場合どう商品を並べるべきか指導するわけですが、たしかに次回行くと直っている…… のだが! よく見渡すと他の売り場が今度は乱れていたりするのです! 普通は何か指摘されたら、別の場所も同様の方法で直すべきとわかるものです。子どもならともかく、すべて言う必要などないはずです。 しかし、できていない!  K店の店長はどうも時間がかかりそうだなと感じました。 しょーがないなと思いながら今後は乱れた状態にならないよう指示し、そしてまた翌月訪店しました。 言われたところはたしかに大丈夫だった…… のだが! よく見渡すと前回直ってたとこがまた崩れているではないか! 嫌がらせなのか? とも思ってしまうところですが、どうもそんな様子ではありません。 またまた気をつけるよう命令し、そしてまたまた翌月がやってきます。 この前の箇所はちゃんとできてる…… のだが! よく見渡すと前々回できていた売り場がまたまたダメになっているではないか! もぐらたたきかよ! 当然のことながら、言われていない場所はあちこちで乱れっぱなしです。 絶望の本当の意味を理解した気がしました(笑)。 もうダメ……もうイヤ……でも何で? …

続きを読む

そっから!?  ―レンタルビデオ屋さんの物語・天国か地獄か沖縄編(その2)―

滞在時期は2003~04年の2年弱で、住居は那覇市のワンルームマンションでしたね。 沖縄では風呂に入らない人が多いそうですが、当然でしょうね。 暑いから。 部屋には一応浴槽がありましたけど、私も入ったことなど一回もないです。シャワーだけ。 暑いからね。 エアコンも冷房機能しかなかったですが、当然です。 暑いんだよ、だから。 窓ガラスはなぜかワイヤー入りでしたが、これは台風対策ですかね。 ただ、ここは最悪でした。予想以上に狭かったのです。 基本的に住居は本社の人事課が用意してくれるのですが、私は転勤前必ず自費で下見に行ってから決めていました。 でも、沖縄となると旅費がかかるため平面図だけで決めるしかなかったのです。 住む場所がつらいところだと仕事のやる気も失せますから、同じ状況の人はできれば自分で確認した方がいいですよ。 平面図からは絶対にわからない問題家屋もあって、物件内に入った瞬間ギョエッ!となった経験があります(内地での話)。 2階の物件でしたが、部屋の中央あたりの天井は2m以上あるのに、両端の高さが1mくらいしかなかったのです。屋根裏部屋みたいなもんです。 つい端まで行って体をくの字に曲げちゃいましたね(いや意味はないけど。グーって。グーってやりました。意味ないけど)。 そんな部屋が好きな人もいるかもしれませんが、圧迫感がすごくて自分はとても住めそうになかったですね。 …

続きを読む

本社はわかってくれない!  ―レンタルビデオ屋さんの物語・天国か地獄か沖縄編(その1)―

とうとう最近、北野武監督の作品群がブルーレイディスクになり、感激です! 買ったのは『ソナチネ』と『あの夏、いちばん静かな海。』の2点ですが、手にできてうれしかったのは、やはりソナチネですよ、ソナチネ!(なぜソナチネってタイトルなのか、いまだにわからんけど) そもそもこの映画を好きになったきっかけは、沖縄への転勤です。 沖縄へ行かされたソナチネの主人公(ビートたけし)が組織に翻弄され、思わぬ境遇に陥り、最後にすべてを捨て去るというその物語が、当時の自分の内面とはっきりシンクロしたことが作品にハマった理由なんですね。 「わけわからん内容なのに、こんなもん気に入るやつは“たけしブランド”にだまされてるだけ」といった批判を見たことありますけど、好きな作品にはその人の内面が強く関わっているものですから、他者には理解できない場合もあるでしょう。 何度聞いても飽きない久石譲の音楽も最高ですが、ジャケット写真(真っ赤な夕焼けみたいな背景の中、青い魚が銛に突き抜かれてるヘンテコなやつ)も、私は理屈抜きでうなずけるんですよ。 当時、そんな妙な気分の毎日だったのです。 沖縄編は書こうかどうか悩んだんですね。 いろいろと面倒が多かったもので、下手するとネガティブな話ばかりになりそうだったためです。 が、沖縄といえば伝わってくるのは観光とか伝統芸能とか米軍基地の話ばかりだし、人にどんなイメージか聞いても、「のんびりした良い人たちそうだけど、時…

続きを読む

映画『羊たちの沈黙』と酒鬼薔薇事件に揺れたビデオ屋さん  ―レンタルビデオ屋さんの物語(番外編 その3)―

『羊たちの沈黙』についての記事はどれも人気が高いのですが、そもそもが強烈な魅力をたたえる作品です。 数年前に原作の新訳本が出ていますが、新しいファンがまだまだ増えているということでしょうか。 この映画には思い出深いものがあります。 初めてビデオ発売されたのは1991年の年末頃だったと思いますが、話題性はあるもののそれほど大ヒットするとは感じなかったため、入荷本数を少なめにしました。 ビデオテープの字幕版はグレイのジャケットで、クラリス(ジョディ・フォスター)が表紙でした。吹き替え版は真っ赤なジャケットで、表紙はレクター博士(アンソニー・ホプキンス)でしたね。 レンタル開始後はいつも貸出中で、もう少し多めにするべきだったと後悔しましたが、アカデミー賞を獲得してしまったものですから、ますます借りにくくなっていきました。 本来は商品を追加すべきところですが当時のテープは1本1万円以上しましたから、元を取りやすい最新作の方が仕入れ上優先されます。ですから羊たちの沈黙は長く品不足のままでした。 後日廉価版が発売されてから、やっと追加で入荷できた記憶があります。 羊たちについては2人のお客さんから返却時に面白かったと聞いたのですが、たった2人と思うなかれ――お客さんが直接そう言ってくれることはめったにないのです。 それほどまでに視聴者をとりこにする映画だったということでしょう。 それなのにいつも貸出中ですから、お客さん側の…

続きを読む

浜崎あゆみがブレイクした真の理由、そして人気復活の処方箋はコレ!  ―レンタルビデオ屋さんの物語(番外編 その2)―

今回はビデオではなくCDのお話です。ときは1999年。 販売・レンタルともに当時マキシシングル(アルバムサイズのシングルCD)がはやってきていたのですが、そのなかでもっとも強く印象に残っているのが浜崎あゆみの「Boys & Girls」です。 同曲で浜崎はブレイクしたといわれていますが、その理由としてまずはノリのいい曲だったことがあるでしょう。 しかし、流行し始めていたマキシシングルであったことと、そのマキシシングルのジャケットに使用された写真が魅力的だったこと――これが同じくらいに重要な理由だったと私は考えています。 水着姿だかブラ姿だかわかりませんが上半身半裸で、しかも巨乳にみえる写真がジャケットに使われていたんですね。 そのソソる写真が12枚も載っていたわけです。 実際に巨乳なのかそうみえるように撮ったのかしりませんが、商品を手にしたとき「これは売れる!」と曲をきかずとも実感できました。 つまりジャケ買いをした男性客のなかからファンになった人がけっこういたのではないかというのが、当時売り場にいた者としての正直な印象なのです。 それまでもそこそこ売れてはいましたし、Boys & Girlsより前に発売された初アルバムもオリコン一位になるなど人気はあったのですが、いまひとつパッとしない存在でした。 音楽・映像ソフトの卸売業で有名な星光堂の社員で、私が勤務するお店を担当していた人からも「ベスト盤をだし…

続きを読む

アルバイトより、やっぱり正社員  ―新・レンタルビデオ屋さんの物語 光が丘奮闘編(その6)― 

万引きにはさまざまな原因がありますが、万引きされやすい店には共通の原因があります。 まずは商品を置く棚が高すぎたり通路が狭かったりといった見通しの悪さの問題。 売り場面積に余裕がない狭いお店の場合、少しでも商品を多く置こうとするとどうしても避けられない問題です。 防犯カメラをたくさん設置する手もありますが、限界がありますし費用もかかります。 一方、売り場が広く見通しのいいお店であってもよく起きることがあります。 こちらは商品量が多いせいもありますが、店員の姿勢にも大きな原因があります。 接客姿勢が悪いことや売り場での声がけができていないことなどで、お客さんに不快感を与えたり、あるいはなめられたりといった場合ですね。 中高生などに「あの店はチョロい」などと一度うわさされると、どんどんやられてしまうこともあります。 万引きをされると店舗側としてはそりゃもうムカムカするわけで、憎たらしいなんてもんじゃありません。 「つかまえたらギタギタにしてやるぜ、クソヤロー!」ってな感情が脳内にあふれそうになるわけです(^^)。 ただし、私の経験ではそういった感情をもつのは社員の人だけでした。 万引き犯に対し、アルバイトさんで本気になって怒った人をみたことがありません。 責任感の問題なんでしょうね。 私はアルバイト時代に店舗責任者として働いたことがありますが、そ…

続きを読む

叫ぶより、目の前にいるお客さんに丁寧に接することが大事  ―新・レンタルビデオ屋さんの物語 光が丘奮闘編(その5)…

「いらっしゃいませ、こんにちはー!」「ありがとうございます、またご利用くださいませー!」 小売業におけるある時期までのお客さんへのあいさつは、「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と一言で済ますのがあたりまえだったと思うのですが、いつのまにやら言葉が過剰に並ぶあいさつが世間にでてきました。 言葉数が多いだけでなく、ある店員があいさつを発したら別の店員が連呼したり、また大きく叫ぶように声をだす場面などもよくみかけます。 接客史に詳しい人がいるならきいてみたいものですが、おそらくこれはツタヤが始めた方法です。 元気のいいあいさつは悪いものではありませんから、ツタヤへの対抗上同様にやるべきだと当時の私の会社でも考え、店舗に要求するようになりました。 しかし、初めからそのように教育されていればべつですが、社員もアルバイトスタッフもいきなりそのスタイルをまねるのはとても難しいことでした。 大きな声を何度もだすのは、なんとなく恥ずかしいですからね。 それでもその行為が売り上げや客数を増やす上で効果があるならまだいいのですが、少なくとも私はほとんど関係ないと思っていました。 たしかに活気ある売り場にみえますし、お客さんの側も悪い気はしないでしょう。 でも、おそらくは単なる自己満足です。 あいさつが悪ければ売り上げや客数に影響するでしょうが、いいからといってことさらお客さんの数が増え…

続きを読む

できる人はいくらでもいる  ―新・レンタルビデオ屋さんの物語 光が丘奮闘編(その4)― 

あけましておめでとうございます。 レンタル店で働く方々は年末も年始もありませんからたいへんですね。ご苦労さまです。 この時期は休みたがる人が多いですから、人手を確保するために割増の時給をアルバイトさんたちに提示していたものですが、それでも人数が足りなくてけっこうつらかった思い出があります。 さて、サービス業や小売業には期間を定めた「セール」や「キャンペーン」といったものがあります。 系列店であれば通常それはチラシやコマーシャルなどを利用して全社的に展開するものでしょうが、私の会社では違いました。 お店の好きなようにやっていたのです(費用がかからない限り)。 本や新品CDなどは再販制度のせいで定価を変えられず、レンタルの基本料金も勝手な変更は禁止されていましたが、それ以外の多くは店舗判断でできたのです。 しかし、なにかやるにはいちいち手間がかかりますから簡単にはいきません。 告知も効果的なものが必要です。折込チラシが一番いいのですがこれは費用の問題があります。 ところが光が丘では、毎週商店街全体で折込チラシを用意することになっていたため、個店別にいれる必要がなかったのです。 広告代は当然いくらかだしているわけですが、チラシを準備する作業をしなくて済んだのですからじつに楽でした。 通常チラシに載せるのは新商品の案内などでしたが、ときどき「100円レンタルコーナー始め…

続きを読む

映画は吹き替え版、音楽は小室ファミリーが台頭した時代  ―新・レンタルビデオ屋さんの物語 光が丘奮闘編(その3)― 

光が丘店にはアダルトビデオのコーナーがありませんでした。 現在のレンタル店は、店舗イメージの問題やネット上のアダルトサイトにお客を奪われている事情などで、コーナーを設けていないところもあるようですが、このころにアダルトをやらないお店は珍しい存在でした。 ショッピングセンターを管理・運営するデベロッパーの許可がおりなかったからです。 光が丘には町内会・自治会にあたる巨大な住民組織があり、同組織には風紀上好ましくないものを排除する傾向があったことで許可できないようでした。 パチンコ店出店への激しい反対運動などもあった地域ですから、デベロッパーはなにかと住民側の顔色をうかがっていたようです。 UFOキャッチャーを売り場に設置しようと申請をだしたとき、「子供がたくさん並ぶかもしれない。そうなると転ぶような子供もたくさんでるかもしれない。だからダメ」といわれました。 まったくわけのわからない理屈でしたね(^^)。 そのくせプリクラ設置の許可は後日おりましたから、結局住民の意向次第だったということでしょうか。 ショッピングセンターにもよるのでしょうが、テナント側は場所を借りているだけというわけではなく、営業内容や売り場づくりについてなにかと管理されるものだということを初めてしりました。 会社とデベロッパーの二人の経営者がいる感じでしたね。 ただ、ファミリー層が中心のお店でしたからアダ…

続きを読む

簡単かつ超テキトーなシフト組み  ―新・レンタルビデオ屋さんの物語 光が丘奮闘編(その2)― 

店長として赴任したのはオープンの1年後です。 当初与えられた最大の使命は人件費の削減でした。 かなりの売り上げが見込めるお店でしたから、会社として1年目は人件費の予算をたっぷり組んでいたのですが、ムダも多かったのです。 そこに大なたを振るう役割を担ったわけです。 店舗スタッフの人数は社員3人+アルバイト店員20~30人でしたが、社員の給与は会社が決めるわけですから、店舗として削減するのはアルバイトさんの人件費ということになります。 勤務時間表を作成する際、通常行われるのは一定期間ごとにスタッフの人たちから提出された希望に沿ってシフトを組む方法と、全員の勤務時間について曜日や時間帯を固定してしまう方法があります。 しかし、私が赴任するまで光が丘店で行われていたのは、とてもユニークで簡単、けれどとんでもなくテキトーな方法だったのです。 人件費の削減上都合のいい方法でもあったため、結局私もそのやりかたを踏襲することにしたのですが、それは以下のようなものでした。 ホワイトボードに人名なしで空欄だけの2週間分のシフト表を書いておきます。そこへ必要な人数分のマス目をいれるのですが、たとえば月曜日の早番に5マス、遅番に4マスといった感じで書きいれます。 マスのなかは当然空欄のままです。その空欄をみて、スタッフが自分の入りたいマス内に名前を書いていくわけです。 つまり早い者勝ちです。スタ…

続きを読む

できそこないの一番店  ―新・レンタルビデオ屋さんの物語 光が丘奮闘編(その1)― 

私はいわゆる転勤族でしたから多くの地域や店舗で勤務したのですが、なかでも思い出深いのは東京の練馬区光が丘での経験です。 光が丘パークタウンまたは光が丘団地は、かつて公団住宅といわれた巨大住宅地です。 そこに会社で初の複合型店舗をオープンすることになったのですが、その店長として赴任したのです。 複合型店舗というのは、レンタルビデオ・CD、セルビデオ・CD、本、文房具など多種類の商材を扱うお店のことですが、おそらくはツタヤによって広まったビジネスモデルです。 光が丘は立地上大きな売り上げが見込める場所でした。 都営大江戸線の光が丘駅を降りてすぐ目の前にある店舗だったからです(まだ光が丘~新宿間しか開通していなかった時期ですが)。 光が丘にはIMAという大きなショッピングセンターがありその南館に出店したのですが、本館にはダイエーや西武百貨店などもありけっこうにぎやかだった記憶があります。 ただし、IMA内のテナントにはある悩ましい問題がありどこもつらかったようですが、これについてはいずれ書く予定です。 出店したのは1995年ですが、私が勤務したのは1996年~97年にかけてです。 まだ中小企業だったとはいえ系列店が全国に200店近くあった会社です。そのなかで売上一番店を期待された光が丘店は予想通りにそうなりました。 そこの店長に任命されたのですから、そりゃもう鼻高々です。そんな…

続きを読む

黒澤作品初ビデオ化のとき、レンタルショップは憂鬱だった!  ―レンタルビデオ屋さんの物語(番外編 その1)― 

「七人の侍」を初めてみた場所は、東京都内のある名画座でした。 前回、七人の侍を批判する海外の人たちのレビューについて書きましたが、そのなかには「何度みても寝てしまう」といったものがありました。 で、私もはじめてみたとき、じつは寝ちゃったんですよ(^^)。 仕事でとても疲れている日のレイトショーでみたことが原因のひとつですが、ほかにも理由があります。 季節が冬だったことで館内は暖房が効いていたのですが、あまりに効いていて心地よかったことと、古い映画だったことでセリフの音声がききづらく、なんとなくストーリーについていけなくなったからです。 よくは覚えていませんが1時間ほどですかね、寝てしまった時間は。 ですから七人の侍の初体験は、あまり印象のいいものではありませんでした。 そして、初めてビデオ化されたときに再度みることになります。 黒澤作品のビデオリリースが始まったのは1990年のちょうどいまごろでした。レンタルビデオ店でまだアルバイトだった時期ですね。 第一回目が「天国と地獄」と「どん底」でして、以降隔月で2本ずつリリースされるという展開でした。 いよいよ始まる黒澤映画のビデオ化!ということで、ファンにはたまらなかったわけですが、ビデオ店としてはちょっと頭の痛い問題があったのです。 それは価格です。 高かったんですよ、マジで。 当時のビデオ…

続きを読む

過当競争はもうたいへん  ―続・レンタルビデオ屋さんの物語(その8)― 

最近のレンタル店の出店事情はどうなっているのかわかりませんが、私がしる一昔前においては、オープン時に激安のレンタル料金でお客さんを呼ぶことが多いものでした。 10円レンタルとか、1円レンタルとかですね。 レンタル店というのは、まずは会員を増やさないと話になりませんから、激安レンタルによって多くの人に来店してもらい、とにかく会員になってもらいたいということです。 しかし、オープンセールの期間が終わっても、かなり安めの料金を続けることもあります。 その目的は、競合店をつぶすことです。 はじめからかなわないと感じる相手ならともかく、こちらのほうがお店として新しく在庫も豊富となれば、あとは料金次第で勝つことが可能だからです。 ただし、相手がつぶれるまではガマンしなくてはいけませんから、それまでは利益がでないこともあります。 相手が想像以上にしぶとく、改装や低料金などで対抗してくると、もっとたいへんです。いわゆる過当競争というやつになってしまうことがあるからです。 もう10年も前になりますが、私の担当する地区内のある店舗でそうなったことがあります。 こちらのお店と競合店の双方が、新作も含め1点オール50円でレンタルする状態だったのです。期間限定サービスなどではなく、通常料金でです。DVDもでした。 当時はまだDVDレンタルは主流ではなく、ほとんどのレンタル店ではDVDは旧作でも30…

続きを読む

いまの宅配レンタルはシステムを変えるべき!  ―続・レンタルビデオ屋さんの物語(その7)― 

一週間レンタルというものが業界にでてきてから、もう20年以上になります。 どこが最初に始めたのかわかりませんが、私がアルバイトだったころのお店では、セットサービスとしてまずはスタートしました。 旧作を5点以上レンタルすれば、自動的に一週間レンタルの扱いになるというものです。 そしてある時期、会社側の指示で1点からOKになったわけです。 アルバイトの身分でありながらも、これはちょっと不安でした。 いままで一泊で貸していたものを、旧作だけとはいえ1点から一週間OKにするというのは、本来とれるはずの延滞金がとれなくなり、また在庫不足の心配もあるため、売り上げも客数も落ちるのじゃないか?と感じたからです。 ところが、その心配は杞憂に終わりました。 予想以上に売り上げが増大したのです。借りやすくなったことで客数や貸出点数が増えたんですね。 貸し出されたものがなかなか戻ってこない(つまり、お客さんからすればいつ来てもレンタル中)という問題もあったのですが、手に入りにくいことで、よりほしくなるといった渇望感を引きだすこともできたようです。 しかし、いつ来てもないとなると不満も高まりますし、お店にとっては機会損失になります。 そこででてきたのが、ツタヤが始めたPPT(Pay Per Transaction)というシステムです。 これは簡単にいうと、メーカーから安く商品を売っても…

続きを読む

リーダーと部下について  ―続・レンタルビデオ屋さんの物語(その6)― 

地区内最後の1店である三軒茶屋のお店は、ツタヤ三軒茶屋店が出店しているキャロットタワーのちょうど向かいのビル内にありました。 このお店は売り上げがよく店長もしっかりしていたため、ほぼ問題がなかったのですが、しっかりしすぎる店長というのもいくらか問題があるのです。 優秀な人というのは自尊心や自主性が強く、批判精神も旺盛だったりします。そういう人は、いうことを素直にきいてくれないことがよくあるということです。 チェーン店のメリットとして、商品在庫・用品・備品などを互いに融通することで、余剰品や欠品がないようにできるということがあります。 たとえば、あるタイトルがA店ではいつもレンタル中なのに、B店ではあまり人気がない場合、それをB店からA店に移動するわけです。 チェーン展開している現在の大手企業は、よくできた在庫管理システムのおかげで、そのような移動業務は楽になっているでしょうが、私がいたころは地区内でうまくやりくりするしかありませんでした。 ところが、しっかり者の店長に「この商品を他店に移動してほしい」といったりすると、「こっちもなにかもらえるんですよね?」と、しっかりしっかりお返しを要求してきたりするのです。 会社にはいわゆる成果主義による人事考課制度などありませんでしたが、店舗の成績がよければ店長の給与や出世に影響することもありますから、商品のことに敏感になるのは理解できますけれども。 ま…

続きを読む

あらゆるものが壊れまくる問題店舗  ―続・レンタルビデオ屋さんの物語(その5)― 

赤羽のお店は、JR赤羽駅東口側の商店街の中にありました。 2階もある売り場でしたが、1階と合わせても計20坪程度しかない小規模店です。しかし、駅前商店街ということもあったせいか、坪あたりの家賃はかなり高額でした。 ところが、建物や設備・備品などかなり古く、それもものすごく古く、いやそうとうに古く、そりゃもうあきれるほど古く、あっちこっち常に面倒が起きまくる問題店舗だったのだ―!!(いきなり絶叫モード) もう、スタッフからしょっちゅうトラブルの連絡が入る毎日でした。 「シャッターが壊れました」、「自動ドアが壊れました」、「レジが壊れました」、「ビデオデッキが壊れました」、「タイムレコーダーが壊れました」、「エアコンが壊れました」、「漏電ブレーカーが落ちて停電しました」などなどです。 真夏にエアコンが壊れたときはきつかったですねえ。 2階の売り場にあったエアコンなのですが、なにしろ場所は2階ですし換気設備もろくになかったものですから、むあっとしたむさ苦しい空気がドロドロドロ~っと身にまとわりつくようで、つらかったものです。 すぐに業者の人が来てくれればよかったのですが、真夏のエアコン修理は業者さんたちも忙しく、たしかこのときは1週間ほど待たされたのです。 私は店舗に常駐していなかったのでまだよかったのですが、スタッフはたいへんだったでしょう。返却作業がありますからね。 それも、2階には…

続きを読む

お店がオリジナルビデオの撮影現場になった日  ―続・レンタルビデオ屋さんの物語(その4)― 

私が管轄する地区内のお店には、ときどき有名人がお客さんとして来店していました。 当時の某有名アナウンサー、当時の某有名タレント、当時の某有名AV女優などですが、それとはべつに、テレビ局や映画会社の撮影依頼なんかもありました。 そのなかでもっとも印象に残っているのは、新宿の店舗で行われたあるオリジナルビデオの撮影です。 小滝橋通り沿いにあるお店で、店舗スペースは20坪程度だったと思いますが、カウンターが広く、商品を置く什器も移動させやすい配置だったため、撮影に向いているというのが選ばれた理由だったのでしょう。 また、お店のすぐ前の道路が広いことも好都合だったようです。 というのも、撮影隊は大型バス2台で乗りつけたからです。スタッフや出演者の移動用と、衣装、小道具、撮影機材などを積んだバスの2台だったみたいですね。 この作品のタイトルは「ジャスキス」(1996年発売)といって、SFアクションコメディって感じのオリジナルビデオです(DVDにはなっていないので、いまみるなら中古ビデオを買うしかありません)。 監督は、特撮ものでしられる雨宮慶太監督の一番弟子といわれていた三ツ浦孝さんという人でした。 主演は、東京パフォーマンスドールのメンバーだった穴井夕子さんです。 予定時間は朝8時から翌朝8時までということでしたが、まさか24時間フルに撮影するとは思えないので、夜には終わるだろうと私は考え…

続きを読む